自分の人生を振り返ると、
昭和、平成、令和と生きてきて
一番厳しくて辛かったのが
子ども時代でした。
その当時は
ベジタリアンという言葉はありませんでした。
だから、
高価な肉や魚を一切受け付けない私は、
親や先生にとってわがままな人間として
ありえない、出来損ないだと思われていました。
それを学校の給食の時間に
毎日毎日思い知らされる訳です。
好き嫌いを言わずに
出されたものは何でも食べる子が良い子だ
と考えられていた1960年代には
仕方のないことだったのでしょう。
小学校の低学年の思い出は
毎日、給食の食器に残った肉や魚を持って立たされ、
遊びにも行けず、やっと掃除の時間に許されて
ひとり給食室に持って行ったことでした。
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小学校時代に好きな先生、
あるいは尊敬する先生には
残念なことに一人も出会うことはありませんでした。
また、
学校生活をそんな状態で開始した子が
自分に自信を持ったり、
自分の考えなど言えるはずもなく、
小学校の頃の私は人の後ろに隠れて、
自分はできない、ダメだと
口癖のように言っていたように思います。
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学生時代に多くの先生と出会いましたが、
その中のお二人、
社会のMr.福田と国語のMs.松内の両先生は
人間性も素晴らしく、仕事に関してもプロだと
尊敬できる唯一の先生方でした。
私が城西中学校の2年の時、
そのお二人に憧れて、
一生懸命に勉強して
最高の番数をとったのを覚えています。
先生に認めてもらいたくて、
勉強嫌いな私が歴史の本を読み漁り、
Ms.松内の美しい字をまねて
毎日ノートに日記を書いていたのですから。
それほど教師という仕事は良くも悪くも、
子どもに影響を与えるものなのです。
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私が入塾してきた子どもを、
まずはそのまま丸ごと受け入れようと
25年やってきたのは、
このような自分自身の体験が
もとになっているのでしょう。
そう考えたなら、
厳しいことも辛いことも、
今の自分を生かすための準備であったと
納得できます。
どの親も
子供が困ったり、
悲しんだりする姿を
見たくないものだから、
先手を売ったり、
口酸っぱくアドバイスします。
もし私が親なら
同じようにすると思いますが・・・
そのような過保護が
子どもの弱さに繋がってるようです。
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異学年で気質も考え方も違う子が
初めは喧嘩をしたり、
傷ついて泣いたりしながらも、
お互いを受け入れ気遣いを見せている
Kid'sの子どもたちの成長を見るにつれ、
案外大人が介入しなくても
自分たちで解決できるものだと思いました。
そして、
その方が後々しこりが残らず
余計に仲が良くなるようです。
まさに「かわいい子には旅をさせろ」ですね。